新曲「海の向こう」西郷南州作、獄中感有りについて

流れるままに、導かれるままに。
鹿児島市の西郷どん大河ドラマ館での演奏依頼を受け、西郷隆盛に関する曲を書き下ろしました。

西郷隆盛について調べたり実地調査をする中で発見したのが、漢詩をたくさん残しているということ。
そこで西郷南州作の漢詩のひとつに、オリジナルのメロディーを付けた曲を制作しました。そしてこの曲の制作中に不思議なことを体験しました。

2017年11月上旬。
放送大学のフィールドワークで参拝した平松神社。
西郷隆盛と月照上人が入水自殺をする際に心岳寺(現平松神社)へ手を合わせた上で飛び込んだと言われています。

2017年11月下旬。
広島での所用を済ませ、関西経由で鹿児島への帰路。
翌日のフライトまで時間があったので、秋の紅葉が見たくなり思いつきでその日は京都へ宿泊。偶然会った愛知の友人に勧められて出かけた「東福寺」。敷地内で偶然見つけたのが即宗院。タイミングよく特別拝観となっており、お庭を見学することが出来ました。

即宗院は西郷隆盛と清水寺の僧、月照上人が密談した場所。その後二人は京都を脱出し、薩摩で共に入水自殺を図りますが、西郷は助かり月照は亡くなりました。助かった西郷は死んだ者として幕府に届けられ、西郷本人は島流しとなりました。この「獄中感有り」は3回目の島流し、沖永良部での作と言われており、西郷の詩として伝えられている130数首の中で有名な詩のひとつです。

たくさんの偶然が重なり、この詩のルーツである場所を導かれるように訪ねることができました。

平松神社

即宗院

鹿児島市の西郷隆盛像

獄中感有り 作:西郷南州

朝(あした)に恩遇(おんぐう)を蒙(こうむ)り、
夕(ゆふべ)に焚坑(ふんこう)せらる、
人世の浮沈、晦(くわい)明に似たり 、
縦(たと)へ光を回(めぐ)らさざるも、葵(あおい)は日に向(むか)ひ、
若(も)し運を開くなくとも、意は誠を推(お)す、
洛陽の知己、皆鬼(き)となり
南嶼(なんしよ)の俘囚(ふしゆう)、ひとり生をぬすむ 、
生死何ぞ疑はむ、天の附与なるを、
願わくは魂魄を留めて、皇城を護らむ、

平泉澄著『首丘の人 大西郷』より

(現代語訳)

朝に主君の恩恵を受けたと思えば、夕方には、生き埋めにされる。
人生の浮き沈みというものは、天地の昼と夜の有り様に似ている。
向日葵(ひまわり)の花は、日が射(さ)さなくても、いつも太陽の方角を向いている。
もし、自分の運が開けなくても、忠義の心を持ち続けたい。
京都の勤(きん)王(のう)の同志たちは皆、国(こく)難(なん)に殉(じゆん)じている。
南の小島で囚(とら)われの身となった私だけが、生き恥(はじ)を晒(さら)している。
人間の生死は天から賦(ふ)与(よ)されたもので、人(じん)智(ち)の及ぶ範囲ではない。
願わくば、死んでも魂だけはこの世に留まって帝(みかど)のいる宮(きゆう)城(じよう)を守り続けたい。

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