コロナ禍で感じるジョン・ケージの『4分33秒』

アメリカの作曲家、ジョン・ケージのあまりにも有名な曲『4分33秒』(1952)。

楽譜には全休符(休み)が記譜されており、演奏家は演奏を行いません。

聴衆の衣類のこすれる音だったり、息遣い、を表現した音楽と言われています。

ケージの作品で最も有名なもののひとつである『4分33秒』は、曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すものである。それはコンサート会場が一種の権力となっている現状に対しての異議申し立てであると同時に、観客自身が発する音、ホールの内外から聞こえる音などに聴衆の意識を向けさせる意図があったが、単なるふざけた振る舞いとみなす者、逆に画期的な音楽と評する者のあいだに論争を巻き起こした。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋


コロナ禍になり、ミュージシャンやパフォーマーが配信ライブを行ったり、過去のライブ動画を配信したりする試みが積極的になりました。

私もステイホームの間、ずいぶんと楽しませていただきました。

 

さて、最近新しい生活様式へと日常は変化し、久しぶりにコンサートに行きました。

やっぱり生演奏は良かった、という純粋な気持ちになれました。

久しぶりのコンサートで、私はただ音を聴くだけでなく、会場の空気感だったり、アーティストが発するパワーであったり、会場に向かうまでの高揚感だったり、そういったものを見て聞いて感じていたんだなぁ、と改めて感じました。

それがつまり臨場感であり、五感で音楽を楽しむ、ということなんだろうと思います。

このような思いに気づいたとき、ジョン・ケージのこの作品をふと思い出しました。

オンラインはオンラインの良さがあります。

それでもなお、生演奏を求めてしまうのは、これらのことを本能的に求めているからなのだろうと考えます。

「ディスプレイは越えられない」

コロナの時代になって、ジョン・ケージの前衛的な作品にただ頭が下がるばかりです。

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