新元号「令和」の由来は、大伴旅人の邸宅、太宰府天満宮で開かれた宴で詠まれた「梅花の歌32首」の序文です。
大伴旅人は鹿児島県の阿久根と長島の境、黒之瀬戸でも和歌を読んでおり、その和歌は万葉集南限の地となります。また、息子の大伴家持も現在の薩摩川内市に国司として赴任しています。
太宰府天満宮に西郷さんの逸話が残っています。
西郷隆盛が1865年(慶応元年)、福岡の太宰府で五卿を守護中、菅原の道真公の命日に手灯明を灯し供養した逸話を語り継ぐため、太宰府天満宮から特別に寄贈された梅の木です。
(西郷南洲顕彰館・2019年1月30日ブログより抜粋)
太宰府天満宮から寄贈された梅の木は、西郷さんのお墓のある南洲墓地の隣、西郷南洲顕彰館の敷地内にあります。
西郷さんは、厳しい冬の寒さに耐え、春に美しい花を咲かせる梅の花が大好きだったそうで、名言「耐雪梅花麗」を残しています。
「耐雪梅花麗」
一貫、唯唯(いい)の諾
従来、鉄石(てっせき)の肝
貧居(ひんきょ)、傑士(けっし)を生み
勲業(くんぎょう)多難に顕(あら)わる
雪に耐えて梅花麗(うるわ)しく
霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し
如(も)し、能(よ)く、天意を識(し)らば、
豈(あに)敢(あえ)て、自から安きを謀(はか)らむや
そのような理由もあり、拙作「海の向こう-西郷隆盛作、獄中感有り-」のジャケットは、梅の花の打掛を着ています。
動画は、大伴家持の万葉集屈指の和歌、春愁三首を歌にして表現しています。
『万葉集』大伴家持・春愁三首
春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも
わが宿の いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕(ゆうべ)かも
うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば
(巻十九ー四二九〇、四二九一、四二九二)