“農業”というキーワード。丸目蔵人佐とユダヤ人と南インド

タイ捨流の始祖、丸目蔵人佐

先日、七夕の夜に青井阿蘇神社で開催された「侍う-Saburau-」凱旋展。

[blogcard url=”https://ikumi-m.com/2019/08/03/「侍う-saburau-in-italy」凱旋展/”]

タイ捨流の始祖、丸目蔵人佐が晩年使用していた、鉈が展示されていた。

晩年 徹斎と号し、切原野(熊本県球磨郡錦町)で晴耕雨読の穏やかな隠居生活を送った。

書、和歌、仕舞、笛などにも優れた才を示した教養人であったという。また剣術以外にも槍術・棒術・杖術・薙刀など数々の武具を使いこなす、あらゆる分野を極めた実に多彩な人であった。

https://www.taisharyu.jp/blank-1 より抜粋

晩年は刀を捨て、農家になっていたそう。

なぜ、剣術を極めた丸目蔵人佐が農家になったのか。
何を思い、なぜその選択をしたのか、興味が出てきた。

ユダヤ人と農業

放送大学で受講した、高橋和夫教授の『パレスチナ問題』。

パレスティナに入植を始めたシオニスト。つまり、ヨーロッパから移民を始めたユダヤ人は、パレスチナの地主から土地を購入し、農業を始めた。

シオニストたちはヨーロッパのユダヤ人社会を普通ではないとみなしていた。

ユダヤ人の農民はほとんど存在していなかった。多くは商業や知的職業に就いていた。

なぜならユダヤ人は、ヨーロッパでは住む場所を強制され、土地を所有したり農業に従事したりすることは許されない場合が多かったからだ。

ユダヤ人の国を作ろうとしたシオニストたちは、パレスチナに来て、地に足のついた生活をしようと農業を始めたのだ。

私は今まで、ユダヤ人は、弁護士や医者、金融関係など、知的職業に就業しているイメージが強かった。それは国を奪われ、どこに行っても生きていけるように、このような職業選択をしているからと思っていたからだ。

しかしながら、学習を進めると、ユダヤ人の国を作ろうと移民したユダヤ人がいちばん最初に始めたことが農業だったことに、非常に驚いた。

南インドの農業

私は、南インドにあるケララ州を2017年、2018年と2回旅行で訪れている。

人間開発指数で最高値を記録しており、識字率はほぼ100%に達し、インド初の家族計画政策で人口増加率は最も低く、治安面では殺人率は最も低く、インドでのユニバーサルヘルスケアの先駆けとして平均寿命もインドでは最も高く、インドで最も公衆衛生が進んでるとされ、世界保健機関ユニセフからは表彰もされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ケーララ州

[blogcard url=”https://ikumi-m.com/2018/05/14/南インド/”]

2014年、南インドのケララ州知事は、国際農業会議で、野菜自給率50%のケララ州で、安全で健康的な食物を生産することを命題とした。

通常、産業構造が高度化すると、第一次産業から第二産業、そして第三次産業に発展していくものだが、農業、つまり第一次産業に舵を切っているところが興味深い。

旅行していて発見したのだが、街の電気は太陽光発電でまかなっており、ホテルのシャワーは太陽熱で温めたお湯を利用している(夜遅くなると、ホテルのお湯が無くなってしまい、水になるのだが・笑)。ガスは、野菜の切り屑などをタンクの中で発酵させて使用しているそうだ。

このように、街全体が自然を利用したシステムで動いていることに、驚いた。

ラピュタ

宮崎駿の映画、『ラピュタ』でこのような名言がある。

「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう」

どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。

どんなに社会が合理的になっても、人間が戻るところは結局自然なのかな、秋の気配のする夜風にあたりながら、こんなことを思ってみた。

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