4歳からピアノを始め、学生時代はロックバンドでも演奏していました。当時は海外の音楽にあこがれていました。海外に行き、自分と向き合ったことで作る音楽が変わりました。
本場の音楽を聞いて、限界を感じた
ロサンゼルスに滞在中、友人が出演する音楽学校の発表会に行ったときに、そこで聴いた演奏が私の価値観を大きく変えました。
黒人女性の演奏する本場のジャズ。
そのライブは私にとってあまりにも衝撃的で、それを聴いたときに「私のやっていた音楽は、なんて表面的なものだったのだろう」と感じました。
こういうのを「ジャズ」と言うのだ、と。
「すみませんでした。」
と今まで自分が知っていたジャズが、どれだけ上辺だけのものだったかを痛感しました。
ジャズはアフリカ大陸から連れてこられた黒人の人たちが、苦しい奴隷生活の中で生まれた、という歴史があります。
私は差別されて育ったわけでもありませんし、食べる物や住むところに困っているわけではありません。
背景が違いすぎる。
私は自分が持っているもの、日本人の私でしか出来ないことをやろう、そう思ってこのような音楽を演奏することにたどり着きました。
震災を海外で体験
そしてロサンゼルス滞在中に起きた東日本大震災。
スーパーのレジの定員さんや、信号待ちで一緒になった見知らぬ人に「日本は大丈夫?」と心配して声を掛けていただき、自分が日本人である、ということを再認識しました。
そしてパサデナであったレッドクロス(赤十字)主催のチャリティー音楽イベント。
ブロードウェイで活躍しているミュージシャンが演奏し、スピーチしていました。
「ホストファミリーが素敵な日本人の家族だった」
「いちばん好きな国は日本だ」
「日本が好きで20回以上行ったことがある」
いろんな人が日本を心配している。そして力になろうとしてくれている。
日本という国は小さいと思っていたけど、海外の人から見るとあこがれの国のひとつで、それは祖先や先輩方が努力して作ってきたものなんだ、と感謝の気持ちが湧いてきました。
私は震災を海外で経験したことで、「私は日本人である」というアイデンティテイーが生まれました。
ああ、もう、自分にしか出来ないことをやろう。
そういう気持ちになったことが、日本文学を題材とした音楽を演奏するきっかけになったのです。